
スピリチュアルアドバイザー®/数秘術鑑定士®/夢占い師/看護師
他者のエネルギーに共鳴するエンパス体質(クレアエンパシー)。ツインレイと出会った実体験や、集合意識へのチャネリングで得た知識などを記事にしています。スピリチュアルで、あなたの人生が少しでも豊かになりますように。
自分のことを理不尽に傷つけたり嫌がらせをしてくる人に出会うと、同じくらい「不幸になればいいのに」と願ってしまうことがありますよね。
しかし現実は、加害者が罰を受ける姿を見ることはほとんどありません。
このように他人を苦しめる人には、一体どんな末路が待っているのでしょうか?
この記事では、人を傷つけた人に降りかかる『因果応報』の末路について、スピリチュアルの視点で解説していきます。
他人を苦しめた人の末路
他人を傷つけた人には、相応の苦しみが降りかかります。
この「相応の苦しみ」とは、同じ苦しみを味わうという意味ではありません。
他人を傷つけた人は、仏教の『因果応報』の教えの通り、与えた苦しみに相当する辛さを体験します。
他人を苦しめた人に返ってくる結果(悪果)は、
神様が見ているから!
それが宇宙の法則だから!
といったスピリチュアルな解釈もできますが、因果応報はもっと現実的に考えることもできます。
他人を傷つけた人は罪悪感に苦しむ
他人を苦しめながら生きている人は、他人を苦しめるたびに心に「罪悪感」が溜まります。
自分が生み出した罪悪感をその日のうちに反省して、罪をすぐに清算できる人もいれば、
あの時のバチが当たったのかな…
と、後日に思い返す人もいます。
他人を苦しめた人は、たとえ相手に仕返しをする気がなくても、罰が返される未来をふと想像します。
自分の行動が生み出した罪悪感を清算しない限り、心からは安心できなくなり、不安な末路を歩み続けるのですね。
他人を無意識に傷つける人にも因果は巡る
他人を傷つけることに罪悪感を抱かなかったり、他人を無意識に傷つける人も、因果応報は必ず巡ります。
その理由はとってもシンプルで、人は1人では生きられないからです。
こうした当たり前に思える日常のすべてが、自分1人では成し遂げられないことばかり。
もしこの世に自分1人しかいなかったら…?
と考えてみると、見ず知らずの人に生かされている事実に気づくことができます。
他人を苦しめる人は、そんな他人との縁を自ら切り捨てて、生きづらい人生を無意識に歩み始めるのです。
他人を苦しめる人の末路は「孤独」
他人を苦しめた人が迎える末路は、孤独です。
ここでいう孤独とは、たった1人で自立して生活するということではありません。
孤独のスピリチュアルな意味は、この世の誰からも必要とされていないと感じること。
孤独でも大丈夫!
と言える人は、他人との繋がりがあるからこそ、一人暮らしでも地元を離れても寂しさを乗り越えられるのですね。
他人を苦しめた人は、いつか必ず、心の繋がりを感じられない「本当の孤独」を経験します。
他人を無意識に傷つける人は、孤独の種をどんどん巻き続けています。
そして、病気になったり高齢になったり亡くなる間際になって初めて、因果応報の法則に気づくのですね。
この孤独感は、誰かが意図的に与えた罰ではありません。
「人を傷つける」という原因が、「誰からも求められなくなる」という結果になった。
という、ごく自然の末路なのですね。
その人が苦しむ末路を願わないこと
心を傷つけられると、ついその人を憎み、
あの人も不幸になればいいのに…
と思ってしまうのは、人として当然の感情です。
しかし『自因自果』に当てはめると、あなたが不幸を願うほど、あなた自身がどんどん不幸になります。
その理由は、他人の不幸を願うほど、自分を意識できなくなる(他人に執着する)からです。
他人に執着すると善因を生み出せなくなる
他人に執着することで、『善因善果』の善因を生み出せなくなります。
善因がなくなれば、当然ですが善果も生まれません。
他人の不幸を望んでも、自分自身は何も変わらないのです。
他人の思考も行動も、完全に自分の思い通りには変えられません。
自分で思い通りにできるのは、まさに『自因自果』の通り、自分のことだけなのです。
あなたに嫌がらせする人からは素直に逃げよう
もし今、あなたを苦しめる人の言動に悩んでいるなら、その人から素直に逃げてください。
嫌いな人から逃げることは、敗北でも無責任でもありません。
もしゲームをしていて、今のレベルでは倒せないボスに出くわしたら、いったん逃げて体力や仲間を増やして、
今なら勝てそう!
と思った頃に、再びボスに挑戦しに行きますよね。
どんなゲームでも映画でも、敵が弱くなることを願う主人公はいません。
自分の人生を1つの物語だとするなら、その主人公は他の誰でもない「あなた」なのです。
自分を苦しめた人の不幸を願うのではなく、波長が合わないと分かったら、その人を物語の主要人物にしないこと。
できる限りのことをしたら『自因自果』が巡り、あなたの人生は少しずつ着実に好転します。
そうやって心が満たされる瞬間を1つずつ増やしていくことが、罪悪感も後悔もない人生を引き寄せてくれるのです。
まとめ
イエス・キリストは、『罪のない人だけ石を投げなさい』という言葉を残しています。
自分を苦しめた人への仕返しで石を投げてしまったら、あなたも同じようにいずれ罪悪感に苦しむでしょう。
相手の不幸を見たい気持ちをぐっとこらえて、悪因を手放してください。
そして、これまで悪因に使っていた時間とエネルギーを使って、ご自身の人生に心豊かな瞬間を1つずつ足していきましょう。


なぎさん
お悩みを打ち明けてくださりありがとうございます。
文面からしか判断することができないのですが、もしかしたらなぎさんの「怖い」という気持ちがご家族に伝わってしまったのかもしれませんね。
嫌がらせをする人は、「嫌がらせに対する反応が欲しい」と心の中で思っています。
無反応な人や物体にあたってもその行動は無意味に感じられるだけですが、相手から何かしらの反応を返されると、嫌がらせに意味や目的が生まれます。
その結果、特定の人をいじめ続けてしまう…ということが起こるのですね。
いじめっ子は誰彼構わずいじめたいわけではなく、自分の想像通りの反応を返してくれる人をターゲットにしてしまうのです。
なぎさんがそのご家族から嫌がらせを受けている理由は、相手に恨まれることをしたからではなく「嫌がらせのターゲットに無差別的に選ばれてしまった」のだと思います。
記事にも書きました『因果応報』に当てはめますと、「怖い」という拒否の気持ちが相手に伝わってしまったことが原因で「いじめのターゲットにする」という結果を生んでしまった、と考えることができます。
この文面からはどのような嫌がらせを受けているのか分からないためしっかりとしたアドバイスにならないかもしれませんが、私からお伝えできる対処法としましては、他のご近所さんと同じように『普通に接すること』です。
無理に仲良くしようとする必要もなく、嫌な気持ちを表に出すこともなく、ただのご近所さんとして接してみてください。
また「何も悪くないのになんで自分が耐えなきゃいけないんだ…」と憤りを感じることもあると思いますので、できるだけ顔を合わせないようにして、そもそもの因果を作らない(増やさない)ことも大切です。
どうしても顔を合わせてしまった時は、軽く会釈をして、速歩きで逃げようとせずいつも通りのペースで、他のご近所さんと同じ距離感を保つことを心がけてください。
なぎさんの毎日に平穏が戻りますように、このブログを通じて陰ながら祈っております。
悩んでしまった時は、またいつでもコメントくださいね。
悩んでいる事があって調べていたらこちらに辿り着きました。
ご近所さん(外人さん〕に嫌がらせをされてから、差し障りない程度に避けていたらその方ががご病気になられたと知りました。
私は他国から来られてご苦労があるだろうから、恨んだ事はありません。怖かっただけです。そのご家族からも嫌がらせを受けるようになりました。
なぜターゲットが私なのか分かりません。
ただただ、嫌がらせはやめて欲しいので辛いです。引っ越すことは今は無理なので悩んでいます。